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自動車事故事件

波汐國芳経歴が凄い「弟子もたくさん立派な先生」福島市97歳暴走死亡事故

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namisiokuniyosi-aikyatti 自動車事故事件

2022年11月19日夕方、福島県福島市の市道で波汐國芳(なみしお くによし)容疑者(97歳)の運転する車が歩道にいた女性をはね、車3台に衝突し、車は数十メートルにわたり歩道を暴走していました。

はねられた40代女性は死亡が確認されました。他の追突された車に乗っていた女性4人も軽いけがをしました。

なみしお國芳容疑者は過失運転致死の疑いで逮捕されました。波汐くによし容疑者の97歳という年齢と経歴に注目が集まっています。

波汐くによし容疑者のwiki(経歴)や家族について、自宅や事故現場、事件概要について調べてみました。

波汐國芳容疑者のwiki(経歴)「自宅は福島市北沢又」

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名前:波汐國芳(なみしおくによし)

年齢:97歳、1925年(大正14年)生まれ

出身地:福島県いわき市

住所:福島市北沢又

職業:無職、歌人、(元東北電力水俣営業所長)

逮捕容疑:過失運転致死

福島市北沢又

汐波という名字は全国に約20人ほどいらっしゃいます。全国68,068番目に多い名字です。福島県に約10人、東京都に約10人、となっています。

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1947年(昭和22年)22歳の時に「潮音」に入社します。

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太田水穂・四賀光子に師事

「新墾」「露草」「白夜」「環」にも関係

2007年に第34回日本歌人クラブ賞受賞の時に東北電力の川俣営業所長だったと記載があり、経歴がわかりました。1978年から1980年になります。

2010年に地域文化功労章(文部科学大臣表彰)

「警鐘」選者や「白夜」選者、福島民友新聞歌壇選者

現代歌人協会会員

日本歌人クラブ東北ブロック参与

福島県歌人会顧問

歌誌「翔」編集発行人

1978年53歳から1980年55歳の間、東北電力の川俣営業所長を務めていました。東北電力に勤めながら、歌人としても活動していたことがわかりました。

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〔フクシマの歌〕◆ 「3・11」の12年前、波汐國芳さん(元東北電力・川俣営業所長)は、メルトダウンを予感し、こんな歌を詠んでいた / 桜木の木下の闇や原発の炉心溶融あるかも知れぬ ★ フクイチ被曝地の桜はことしも咲いたはずだ! 安倍政権が再稼働を進める日本。美しい国の桜を放射能で穢してはならない!

・退職前の一九七八~八〇年には、福島県川俣町の川俣営業所長を務めた。東北電力は当時、浜通りの浪江町と小高町(現南相馬市)で「浪江・小高原発」を計画。波汐は社の方針に従い、電化教室などで地元住民に原発の安全性を説いた。

「会社も、組合も推進だから。飯舘村の人たちを福島第一原発に案内したこともありました。チェルノブイリとは型が違うから安全だって言ったりね。実際は受け売りにすぎなかったわけだけど」

・事故の後、波汐は深い贖罪(しょくざい)の思いを歌っている。

<原発に一枚噛(か)んで古井戸の汲(く)んでも汲んでも尽きない悔いだ>

55歳で東北電力を退社します。原発は安全だと地元住民に説明する立場ではありましたが、東日本大震災の原発事故が起こる12年前にはメルトダウンを予想し、「桜木の木下の闇や原発の炉心溶融あるかも知れぬ」という歌を詠んでいました。

2012年には、原発をテーマにした歌集「姥貝の歌」を出版しています。震災後の故郷の海への慕情を詠っています。

「姥貝の口をひらいて海に問え白亜紀ざぶりと戻って来るか」

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2016年には「警鐘」を出版しています。

「ああ我ら何にも悪しきことせぬを「原発石棺」終身刑とぞ」

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原発の中で働いたからこその、原発や福島の自然に対する思いが強く感じられます。

2019年「鳴砂の歌」出版
推薦文「砂が鳴くのか、人が哭くのか。福島のいわきから原発への怒りを発信し続ける第15歌集。ともに戦い、長い間支えあってきた最愛の妻への挽歌も胸を打つ。」

「癌ゆえに逝きにし妻ぞ被爆地の福島に住み逝きにし妻ぞ」

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わずか3年前の2019年にも新作の歌集を出版してます。97歳でも現役で歌人として活躍しています。

歌人としての経歴は75年ほどになるようです。身体の衰えはあったものの、頭脳は短歌を作るために冴えていたのでしょうか。

波汐國芳容疑者の家族は「一男一女」

家族構成は、妻・一男一女がいます。息子さん娘さんは東京に暮らしており、波汐くによし容疑者は福島に一人暮らしでした。

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週刊新潮によりますと、写真の奥様は3~4年前になくなられました。ヘルパーさんが週に何度か訪れ手伝いをしてくれていましたが、買い物やゴミ捨てなどほぼ一人でできていました。車で出かけることとも厭わなかったようです。

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近隣の方は車の運転を危険視していたようですが、波汐くによし容疑者本人は気にしていなかったのでしょう。

なみしお國芳容疑者の自宅は古い二階建ての住居ですが、玄関回りや庭などお掃除が行き届き、綺麗にしていました。

97歳という年齢を考えても、リハビリ専門の方も定期的に訪問していたようで、身体のどこか悪かったようです。

奥様が亡くなられてからの一人暮らしは、ヘルパーさんのお手伝いがあっても、寂しいものだったのでしょう。

波汐國芳容疑者の近隣の方の声「車は危なっかしいと思ってた」

なみしおくによし容疑者は近隣では立派な先生として有名でしたが、車の運転には不安視されていました。買い物など車のない生活は不便かもしれませんが、ヘルパーさんもいることですし、家族が免許返納を進めてくれたらよかったですね。

ここらでは立派な先生として知られています

地元紙『福島民友』の歌壇で選者も務めていた有名な歌人さん。

地元紙『福島民友』の歌壇で選者も務めていた有名な歌人さん。普段からよくお弟子さんが、車や自転車に乗って自宅に訪ねて来られます。みなさん70過ぎの高齢な方ですがね

独りで暮らしていましたが、お元気そうでしたよ。ゴミ出しもいつも歩いて自分でされていました。

車庫入れを苦労しながら、何度も切り返してやっていましたから。本人は頭がハッキリしているつもりでも、見ていて危なっかしい。前はもっと大きな車だったんです。3、4カ月くらい前に、今の軽自動車に替えたばかりなんですよ

イオンに買い物に行く程度で、遠くまでは行っていないとは思うんですが。散歩はあまりしませんね。歩いているのはゴミ出しの時くらい。ゆっくりですが、ちゃんと歩けますよ。寡黙な方なのでそんなにご近所付き合いはありませんが

出典:デイリ―新潮より

波汐國芳容疑者の歌人としての受賞歴

経歴もすごいのですが、受賞歴も凄いです。

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2010年に地域文化功労章(文部科学大臣表彰)

20016年詩歌文学館賞

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波汐國芳容疑者の事故現場は「イオン福島店で買い物後」

ニュース映像から事故現場はどこなのか、イオン福島店で買い物をした後、イオンから出てすぐの場所でブレーキとアクセルを踏み間違え、歩道に突っ込んでいったものと見られています。

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福島市南矢野目の市道

「イオン福島店」からなみしお國芳容疑者の自宅がある「福島市北沢又」までは、車ですと、10分かからないのですが、歩くと30分程かかります。移動スーパーなどがあると良いですね。

波汐國よし容疑者の軽自動車の事故後の映像を見ても暴走の度合いがわかりますね。

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波汐くによし容疑屋の免許更新時には、認知機能検査に異常は見られなかったとの報道です。リハビリ専門の方に通ってもらって治療していたのですから、身体的には問題があったということですね。

波汐國芳容疑者への世間の声

18歳からしか免許取得できないのだから、上限も設けた方が良いのでは、という声も多いですね。

・97歳が運転の車が人を轢いた?こんなん高齢者に免許更新した責任は誰にあんだろね

・こないだの婆ちゃんも車道だと思ったって歩道突っ込んできてた、分からんくなるのか…
・広島でも昨日?見かけたけど絶えないよねこの手の事故。免許更新できるのもおかしいし年齢制限設けたほうがよろしいかと。
・家族も悪いって言ってる人もいるけど、ボコボコにしてでも免許証を取り上げてもおk
ならまだしも「説得、話し合い」しか出来ないから家族も困ってると思うよ

追記:波汐國芳容疑者の事故の状況「お母さん頑張って!」

波汐くによし容疑者の起こした事故の状況が明らかになってきています。

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現場にはブレーキ痕はなく、なみしお國芳容疑者の運転する車は歩道を数十メートルにわたり暴走しています。歩道の川村ひとみさんをはね、樹木をなぎ倒し、デイサービスの車など3台に衝突しやっと止まります。

歩道ではねられた福島市八島田の調理師、川村ひとみさん(42歳)は搬送された病院で2時間後、死亡が確認されました。

川村ひとみさんには夫と小学生の娘、息子の4人家族です。

集英社オンラインによりますと、追突された車に乗っていた女性のはなしでは、川村ひとみさんのそばには小学低学年くらいの小さなの娘さんが一緒にいたそうで、頭から血を流して動かない川村ひとみさんのすぐ横に呆然とたたずんでいたということです。

女性の話は続きます。女性の車の前後にも車があり、後ろの車は介護車両でご高齢の方が複数乗っていました。周りの方が救命処置を始め、「お母さん、お母さん、目を覚まして!頑張って」と心臓マッサージをし、男性はAEDをさがしていました。

事故後、軽症を負った波汐くによし容疑者は、歩道の縁石に座り込み放心状態で惨状をみつめていたといいます。

騒然とした状態だったことが伝わってきます。

川村ひとみさんのご冥福を心よりお祈り致します。

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